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『 春の嵐 』 [本 & 書評]




ヘルマン・ヘッセ 著 / 高橋健二 訳 : 新潮文庫


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暴走した橇と共に、少年時代の淡い恋と健康な左足とを失った時、クーンの志は音楽に向った……。


高橋さんの 解説より
『ゲルトルート』(Gertrud)は1910年、ヘッセ33歳の作である。ヘッセの小説中、いちばん小説らしい構想と波瀾とまとまりをもつものということができる。これもまた、幸福の真意義を求める孤独者の告白の悲しい歌である。


ヘッセの本は、とても美しい言葉や、感慨深い言葉に多く出逢えるというのも
あるが、文章を読みながら、サンクチュアリ的な(自分のイメージ)空間に
入っていけるような 瞬間があり、 それが 心地よかったりする。


『 春の嵐 』は、孤独というものが 描かれているのだが、孤独といっても、それ
自体が、とても 多面的なものであると、改めて じみじみと感じた。

(余談だが、多くの文学やらは、根本的な題材として、詰まるところ 孤独を
描いているように 感じるのは、浅識な 見方であろうか…)

そり 遊びによって、足に後遺症を負うことになってしまう、主人公 クーン。
そのことによって 周囲に 心を閉ざし、淡い恋心にも ことごとく 失望を抱く
ようになってしまう。

この物語は、そういう 失意の連続の、寂しく切ないものが描かれてゆくのか
と 思ったが、想像していたものとは違って、後半 とても 読み応えがあった。

クーンの抱えた 孤独の先には、人々を魅了する クーンの音楽が生まれる。
それによって、声楽家のムオトという 情熱的な友人を得たり、朗らかなよき
理解者となる バイオリニストのタイザー、そして その妹と 親しくなる。

ムオトの情熱的で 複雑な面と 比較して、タイザーは 快活で明るい人物と
して描かれており、クーンは その彼の 何かに満ちたような印象に、物足り
なさを 感じている あたりも、興味深い。(人に魅了されるということは、何も
異性間のことばかりでは ないですもんね)

クーンの曇った心は、物語の流れの中で、その快活な 彼の存在というのに
ずい分と 救われたように 思えたので、私は タイザーが出てくると、清涼的に
感じられた。

そして、原題ともなっている ゲルトルートという、高潔な女性とも、音楽を
通じて、ほのかな 関係性ができるのだ。

ムオトに対する、クーンの憧れと、彼の 性分を知っているからこその嫌悪。
輝かしい高貴さをもった ゲルトルートが、彼によって 破壊されてしまうことを
懸念しつつも、自分の想いから 身を引く クーンと共に、私も 胸が痛んだ。

深く愛している人が、いずれ、そのような状態に 陥れられると分かっていて
誰が 手放しで 祝福できましょうか…。



色々と 印象的な 言葉があったのだが、ムオトとゲルトルートのことを暗示
しているような 箇所が、つよく記憶に残った。

私は実際マリオンやロッテやムオトなどのような人たちとは、まったくちがった人間だったんだろうか。あれがほんとうに恋だったんだろうか。私は、これらの情熱の人たちが、みんな嵐に駆りたてられたようによろめき、あてもなく吹かれているのを見た。


男は、きょうは欲望に、あすは倦怠に苦しめられ、ふきげんに愛し 残忍に絶交しながら、どんな愛情にも確信がなく、どんな恋にも 喜びを見いださないのだ。また女たちは、侮辱され ぶたれながら引きずられて、最後に突き放されても、なお男に執着し、しっととさげすまれた愛とで 品位を落としても、犬のように忠実なのだ。


大切な友人と、愛し焦がれた女性、この二人が その関係の中で苦しんでいる
様子は、クーンにとっても 辛いことだったろうと、想像に難くない。

愛は、ときとして むなしいものだということ、たがいに好意を 持ちあっている人々が、たがいに素通りしあって めいめいの 不可解な運命を生きており、どんなに たがいに近づき 助けあおうとしても、意味のない悲しい夢魔の中でのように、助けることができないでいるものだ、というようなことを 私は考えた。


結末を伏せるとして、読了後、人間の 距離というのは何だろう…と考えつつ
クーンのこれからを、自分の事のようにして 想像してみたが、難しいなぁと。

この本、結末からが 本題のような気がするのですよね。






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