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『 停電の夜に 』 [海外作家]




ジュンパ・ラヒリ 著 / 小川高義 訳, 新潮文庫


著者は、インド系 アメリカ人 だそうです。


(短編集だが、表題作 一編を 読んだだけ)


海外作品を あまり読まないのに、いきなり インドの方の作品を
手にすることに、すこし 躊躇った。

翻訳者が 男性だからか、読んでいて、女性作家の文章ではないように
感じる 瞬間が、ときどきあった。

日本の作家さんとも 通じるような 視点というか、普遍的だからこそ
感じる、馴染みの 雰囲気があったが

三人称視点の、話しの進行を 読むのが、久しぶりだったので、たまに
誰の感情であるのか、分からなくなったりも…


以前、『 大停電の夜に 』、という邦画が ありましたよね。


その予告映像の 印象が、手にしたくなった きっかけの、一つの要素で
あったかも。

てっきり、ラヒリさんの本が、原作だと 思い込んでいたが、調べると
邦画は どうもオリジナル らしい。映画のほうの、似通ったタイトルに
紛らわしいなぁ と、眉間に皺がよって しまった。


表題作は、最後の頁の文を、目で追ってゆくとき、涙こそでないが
何か 込み上げてくるものが あった。


五日間、電気の点検の為、夜 一時間だけの、停電。

その舞台の背景からして、素敵な 演出や効果を、感じずには いられ
なかった。 けれども…。

しっくりこなくなった 夫婦が、ぽつり ぽつりと、過去の出来事の 吐露を
交わす。日々が 過ぎゆき、物語は、非日常 空間である、停電の暗闇から
日常へ 引き戻されるように、灯りがつく。

灯るのではなく、点く。 見えてしまう。 知ってしまう。

お互いに、お互いの 知らなかったことを 聴くのは、密かに、覚悟がいる
と思う。自分の気持ちを 言えるのは、「もう言っちゃえ」と、勢いが
ついているからであって、相手からは 何が 出てくるかなんて 分からない。


想う きもちと、癪な きもち。近しいからこそ、余計に 腹立たしくなる
複雑な感情。だけど 決して、傷つけたい わけではないのに。


(本とは関係ないが…。いや 通じている? )どこで 聞いたか、見たか
定かではないが、深く きらいにならないと、好きになることも できない。
という言葉がこの頃、頭の中に よく浮かぶ。 

分かるような、分からないような。

それは いいとして…。



ラヒリ さんの本に ふれてゆきたい と思う、きっかけが 出来た。






タグ:停電の夜に

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