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墓 [本 & 書評]






色川武大 著 / 『 怪しい来客簿 』 より、 をよむ。


亡くなった叔父が、頻々と私のところを訪ねてくるようになった。
父のところではなく 私のところにだ。

こう 始まる、類縁に まつわる話し。

自分が、今 此処に 存在していることを、かんがえた。


家系図うんぬん など 関係なく、遡ってゆけば、当然 そこには
人々が 存在 し続けてきた。

そこに在った という、そういう 事実の上に、自分という人間が
いるのだな と改めて想った。


たまに、ワタシという人は、何処からか ひとりでに、ひょっこり
現れたのでは ないだろうか(?_?) 、なんて思ったりする。

街行く 人々の中にも、多少なりとも、そんな風に 思う 瞬間て
あるのではないかと、密かに、想像しているのですが(笑。

ときどき、ぽつねんと孤独を 感じると、そんな風に ゆらゆら と
した 思いに、浮いていることもある。 あは。



『 墓 』 についてですが

笑わそうと しているのでは、ないのだろう けれども、ふふふ と
笑みを 誘われる 描写も、あったりしました。

(強い情で、繋がっているという 訳では、ないようだけれども)
叔父さんと 主人公の 関係性が、なんだか 好ましかった。


ほう なるほどね、と思った 箇所があったので、引用しました。

家系図というものが 私の家にもあって、父の説明を ききながら 私も一、二度のぞいて見た 記憶がある。 大体において くだらぬもので、人間が 木の股から生まれない以上、系図の有無に かかわらず、どこの誰だろうと 祖先の猿まで ひとしくつながるものであろう。


途中でどんな人物が居たかは 実はたいして 重要ではない。 要は続き具合で、生き死にを くりかえしながら とにかく私どもも 続いているンですよ、びっしりと存在してきたので、したがって 私も ここに居るンです、そういうことが いえるというのが 大きな慰めになる。


系図などなくても 同じことだと思うのは、だから 小生意気というもので、たとえ幽霊だろうと 現われてくれるに 越したことはない。在る という方向を一心に信じ、不注意を おかさずに、手早く 一生を 終ってしまえばよろしい。



忘れた頃に、何だか、また 読みたくなりそうな 気がします。











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