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『 某 』 [K.H]




[本]



川上弘美 著 / 幻冬舎


9/12に発売され購入し、読了したのが 11/6なので
約 2ヶ月近く過ぎているのか…

半分 進んだまま、暫くそのままになっていたので
ここ数日で、一気に 読み終えようと思って。


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物語の始まりからして、謎めいたところがあったが
最後まで 読み進めてみても、これが明確な "終わり"
というのを、感じられずにいる。

川上さんの作風は、(あくまで私見だが)そういう
雰囲気のものが わりと多いと思っているので、別に
これといった 違和感はない。

小説には(お話や、物語など)、起承転結という
はっきりとした 流れのものもあれば、何だか 終始
朧げな感覚のまま、終わってゆくようなタイプやら
色々とありますよね。

タイプ別でいうと、川上さんの作風は(読み手側の
捉え方にもよると思うが…)後者のイメージが強く
例えるなら、今回のこの 『某』は

人気のない朝靄の中を、向こうから、誰かが すっと
歩いてきて、また違う場所の 靄の中へと、再び
すっと 消えてゆくような、そういうイメージがある。

この物語の、一番 最初に登場する人物が、様々な
人物(性別 問わず、ある時は子供で、ある時は大人)
へと "変化" してゆくのだが、変化してゆくごとに

以前の人物がもっていた、好みや趣向などの 感覚や
記憶が 薄れてゆき、現在の人物の感覚へと 上書き
されてゆくような 描写が、興味深かった。

元々は同じ人物だから、その心の奥底に 共有の情報
(データ?)のようなものが、根を張るようにして
あるのにも関わらず、人物が その都度変わるごとに

その根っこの部分も、凄く 曖昧な感じとして描かれ
それが 読み手側の私を、妙な不安な気持ちにさせた。

こんな人物だったので、あろう。確か こんな好みが
あったはず、だろう。~だろう、というような
大元の流れは 同じなのに、確固たる確信がない様は
何でだろうか、怖いなと 私は思った。

それは、自分自身だけの(持っている)要素では
不足分が多過ぎて、心許ないからかな(笑。

なので、輪廻転生が、本当にあるのかどうか 定かで
ないが…(ロマンがあるから、私はあって欲しいと
信じてる)

人物が 変化してゆくのを、章ごとに 読んでゆくのは
謎の 好奇心が出てきたし、加えて、自分も そういう
変化のもと、この世に再び訪れたのかもしれない…?

と、何となく そんな風に想像しつつ、自分の中の
何かと 重ねるようにして、読み進めてゆく時の 心の
動き方は、自分にとっては 新しい感じがした。

"今の自分" だけでは、色々不安だから、輪廻転生の
概念て、何か とっても心強い気がするのですよ‘∀‘
(昔の)違う自分が、経験しているかもしれない!
だから大丈夫だよって、ええ 単なる妄想ですけどね。

この物語で描かれているのは、いわゆる輪廻転生とは
似て非なるもの なのでしょうけどね。

読了してみて、まず思ったのは、これはある意味
" 恋愛小説 " なのだなということ。

そもそも、恋愛小説の定義というものも、私なんかは
よく分かっていないが…『ひかり』の章を読んでいて
「ああ ここへ持ってゆく話しなんだなー」と、ふと
理解できたような、気がしました。

『ひかり』の章は、川上さんらしくて好きです。


{ 追記 }


" ひかり " の章について、少しふれようかと思い
一部 小説より抜粋します。

ひかりの章での描写が、川上さんらしいというのは
恋している人(登場人物)の、刹那的に揺れ続ける
心の様子、それは、切なさ 喜び哀しみなどの感情が
淡くとも強く(読み手である)私の心へと、何かを
鮮やかに 残してゆくところです。


330頁

時が満ちた、という言葉は、なかなか便利な言葉だった。ほんとうは そんな簡単に片づけられるものではないと わかっていたのだけれど、その言葉に、あたしは乗った。みのりも。


この後の描写が、とても印象深かった。

なぜ今まで 恋をせずにすんでいたのだろうかと、あたしは ただただ不思議に思う。落ちてしまうと、恋というものは、ほんとうに簡単に落ちることができるのだということが、わかる。

まるで落とし穴だらけの地面を 歩いているかのように。


唐突に、岸さんの話題に もってゆくが…'∀';
(今は そういう気分なので)

ある日 突然 ファンになり、ファンになった、故の
楽しさ、嬉しさという凄い 煌びやかな気持ちも多く
味わったが、その反面、様々な負の?感情にだって
ふりまわされっ放しな 数ヶ月だった[ダッシュ(走り出すさま)]

私の現実世界には 居ない人で、そんな事は、当然
理解しているのだけれども… TVの向こう側の人
といえども、生身の人間なのでね。 ←だから何(笑

なので、この小説の "ひかり"の章は
(例え 想う対象が、芸能人であったとしてもさ)

「あー こういう気持ちって…何か 分かるなぁ…」と
しみじみ、言葉を受けとりながらの読書となり、ふと
こういう感情の、さ中に読むから、より いっそう心に
沁みてくるのかもしれないね、なんて思っていた。

" まるで 落とし穴だらけの地面を 歩いているかのように "
という一文が印象的だったのは、対象が誰であっても
ファンになるような人が、全くいなかった時の、あの
凪のような、平和な世界(いや 退屈な世界?)なんて
まるで、嘘の世界だったように思えてくるから。

(その頃は、お鍋のルクルーゼとか ダンスクに、ハマっていたわ)

今ある この感情って、一体 何処に潜んでいたのかと
想像すると、何だか 妙ちくりんな気持ちに なるのは
どの時だろうが、その部分は、既に 私の中に在った
ものな訳で、それが、いつしか知らぬ間に、ぽこっと
浮き上がってきただけ なんじゃないかと。

(↑ ほんと、何書いているのか、自分でも?_? です)

でも、ひとたび 好意を持ってしまったら…ぼこぼこで
不安定な(ほんとう)穴ぼこだらけの道を 歩いている
ような状況と、今の 自分の気持ちの中が、似たような
感覚もあったので、この表現、とても興味深かった。

この、小説の雰囲気からは、逸れるかもしれないが
公式写真を (同じような表情や 構図なのに)何枚も
購入してしまったり、それだって、自分にとっては
まさに、穴ぼこに すとんと落ちた状態だよなって。

終始、何が言いたいのか、まとまらなかったが…
まあ そういう事です[ー(長音記号2)] どういうこと?

おしまい。








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