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" 熊の神様のお恵み " [K.H]




きのう

書いた、川上さんの短編集『 神様 』から

表題作の 神様と、続きものの『 草上の昼食 』の
二編を 久々に読んだ。


神様に至っては、5枚分の紙しかない程に 短いが
(頁でいうと p.9~18くらい)
川上さんのデビュー作なので、貴重な一編である。


同じ集合住宅の、3つ隣に越してきた 成熟した雄の
くまと、主人公(性別は不明だが たぶん女性)の
何気ない 一日が描かれたお話しだ。

今日 ネットで、毎日新聞2017年6月14日 東京夕刊
川上さんのインタビューを読み、意外な事を知った。

「あの頃、私は幸せな一方で、孤独で寂しかった。『くま』は我が子を映しています」。


くまが、ご子息を 映していたなんて。

(当時 5歳と2歳の、幼いお子さんだったそうです)

そうなんだ!そうなのか。と 私は、心の中で驚いた
のは、素敵な男性像として くまを認識していたからだ。

言葉使いが丁寧で、心優しい感じがして、そして くま
だからか、何だか 包容力がありそうな印象を持った。

(小説は、読み手が、各々に感じたり 理解できれば
いいものだと、個人的には思っているので
この世界観は 独自のものとして、私は捉えているが)

しかし

くまが、ご子息を映しているというのが、妙に 腑に
落ちるのは、『 草上の昼食 』を 再読した時だ。

ある日、くまは、故郷に帰ると 告げてきた。

段々 今いる世界にも、馴染めなくなってきたらしく
(それまでは、溶け込もうと 努力をしている感じも
したが…)
もう、こっちの世界には 戻る事はないと、言うのだ。

息子さんの成長というか、大人になってゆく過程を
描いているような、そんな気さえした。

くまは、毛の密度がどんどん濃くなり、雷に対して
野性的な反応をしてみたり、優しさと 野生的な面が
共存しつつあるのが 見え隠れする描写に

" 男性 "に なってゆく様子を、やんわり描いている
ような、そんな印象をもった。

人間社会に溶けこもうと、色々と 学んだりしながら
社会性を、身に着けようと 努力してきたのが分かる
表題作の 神様。

こうして書いてみて思うのは、くまの順応性を感じる
いじらしい 一編でもあるな と。

そういう 時期を経て、やっぱり合わないと 気づいて
故郷に帰ると伝えてくる、(息子さんのイメージに
当てはめてしまえば、巣立ち だろう)草上の昼食。

こうして、久しぶりに 読み返してみて、そのままな
印象と、今迄とは 違う側面も 感じられたりしたのは
面白い事であった。


何気ない会話のやりとり、何気ない 日常の一場面が
川上さんの 手にかかると(言葉の表現など)いつも
薄ぼんやりとした哀しみを、感じさせる。

存在している哀しさ、寄る辺のない哀しさ、得体の
知れない、明けそうにない夜の中を漂うような その
独特の哀しみたいなのを、いつも感じる。

どの作品にも、一定率 そいうものを感じさせるのは
とても 不思議であるうえに

人生とは、この哀しみに 永久に つきまとわれてゆく
様な気がして、またそれを想像して、時々 怖くなる。

だからか、川上さんの本を読むと、それが しんどく
なった時もあったが、あの感覚も それはそれで

厭でもない時もあったりするから、時々 読みたいと
なる、のだろうな。

それはそうとして、私は、哀しみと 何回書いたの
だろうか…(''Д'';)



『 神様 』の、くまが言った言葉が

温かくて心地よくて 好きだ。

熊の神様のお恵みが あなたの上にも降り注ぎますように


主人公同様、私も " 熊の神様 " というものを 想像
してみるが 一体 どんなかんじなのだろうか?

でも、神様には違いないから、やっぱり神々しい
雰囲気なのでしょう。

ひょんなきっかけで、この本を 久々に読めて

何だかよかった。







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