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繭のなかへ [O.Y]




(_ _ ) ふぅー。。

些細なことで 落ち込み(バカげた口論)、そのまま 関係ない部分にまで
虚しい気もちが 広がりつづけ、抜け出せなくなっていた。

小川さんの 『 偶然の祝福 』という本の中の 一編に、『 蘇生 』というのがある。

それは、『 貴婦人Aの蘇生 』と リンクしている 物語だというのを、レビューを
見たことによって、知った。

「ああ、関連しているお話し だから、読まなきゃ…」と思いつつ、一つの作品を
充足した気もちで 読み終えた後だからか、あえて もういいような 気もしたが
その本を 完結させる為には、やはり 読むしかないな と。

でも、読んでよかった。 虚しい気もちから、うっすらと 救ってもらえたように
思えたからだ。

主人公の女性は、作家なのだが、ある時 言葉を発せられなくなってしまう。
言語療法士に かかり、色々な 訓練をするのだが、すぐには良い兆しは 訪れない。

そんなおり、(イメージの中で) 隙間もないような壁が 目の前に姿をあらわす。
そして、それは 過去に自分が、升目に埋めてきた言葉によって作られた 壁だと
彼女はつぶやく。

そして私は、自分が何かの間違いにより、その壁の外側へ落ちてしまったんだということに、ようやく気づく。

壁を、子供と愛犬を 抱き寄せ、何としてでも登らなければと 葛藤している。

この 『 偶然の祝福 』は 連作小説なので、一話目から 順を追う必要があるのだろう。
しかし 私は、小川さんの本が 続いたので、大した理由もなく、少し 間を空けようと
思っていた。

けれども、主人公と 赤ん坊の息子、愛犬 アポロとの生活、その流れが 分からない
ままでは、この短編 『 蘇生 』も、なんだか曖昧な 印象になってしまうしな…。

きょう 綴りたかったことに 戻ると

息子の入院時に 出逢った、アナスタシアだと名乗る 老婦人によって、彼女は
自分を 取り戻すのだ。

光が壁の向こう側を照らしている。アナスタシアの言葉が聴こえてくる。

「 蘇生よ。蘇ること 」

どうしても私は、壁の内側へ戻らなければならない。身体を温めてくれる繭としての、死への導きを 完結させてくれる 棺としての壁を、取り返さなくてはならない

(彼女と、私の 状況は違うけれども…) この言葉が、胸にすとんと落ちてきた。

時々、本来 いるべき場所 (それを 壁の内側とみたてたとき)の、外側に いる
のでは ないかと思ったりするような、変な 感覚に陥ることがある。

内側というのは、もっと 色々に感じる気もちが、きちんと ある状態といいますか。

愉しいとか、嬉しいとか、そういう やわらかい感情も、前向きにならなくては、と
いうのだったりが、はてしなく 虚しくなってしまい、何かにつけて 斜に見てしまう
そんな日が、続くことが あったりする。

「いいのかコレで? いいのかっ」 と、それが 徐々に焦りに変ってくる時すら、ある。
それが、ここ数日の 気もちだった。まさに、外側に落っこちてしまっていたのだ。

だから、身体を温めてくれる繭としての、(死への というか)日々を送るうえで
順当に 導いてくれる 心の感覚(棺は、自分を守ってくれるものと、私は解釈した)
その内側としての壁を、取り返さなくては ならないという 言葉に、はっとした。

とても 抽象的で分かりづらいですよね。あまりにも 個人的な感覚なので…

でも、書き出しの表情から、いまは (˘︶˘) こういうかんじに、少しなったように
思えます。 こんなことの くり返し、そういうもの なのだろうかな。。

『 偶然の祝福 』 よむかなぁー。






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