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『 ブラフマンの埋葬 』 [O.Y]


小川洋子 著 / 講談社文庫


ある出版社の社長の遺言によって、あらゆる種類の 創作活動に励む芸術家に 仕事場を提供している <創作者の家>。その家の世話をする僕の元に ブラフマンはやってきた━。サンスクリット語で「謎」を 意味する名前を与えられた、愛すべき 生き物と触れ合い、見守りつづけた ひと夏の物語。第32回 泉鏡花賞 受賞作。


どんな動物なのかは、詳細に明かされておらず、なんとなく 小さな犬のような そうでないような
のを、私はイメージした。解説にあるように、登場人物で、唯一 名前が分かるのが、ブラフマン
彼だけ。

家に犬が いるので、そういう動物の挙動を 細かく描写されても、そこに、あまり興味をひかれず
数ページ 読んだきりのままで あった。(小説は、人が メインになっているものだ…という、私の
頭のかたさが、あるからなのでしょう)

久しぶりに 開き、とにかく頁を すすめてみたのだが、その動物の 描写の多さに、そういうのでも
小説って 成り立つもの なのだろうか と、そこに 謎を 感じつつ、けど こうして作品になっている
のには、きっと何かがあるのだろう と、読み 続けた。

しかし、ふと 美しい自然の風景が 目に浮かぶようになってくると、ブラフマンは さておき、その
風景描写も、この物語の中で 重きを占めているように思えた。解説にもあるように、決定的な
テクストは ないにせよ、私も、南仏の風景を 想像した。

すると、季節が夏ということもあり、オリーブ林や、スズカケの木の 艶やかであろう 葉の色、
泉の水面、草の朝露、光、そういうのが 透明さをもった きらきらとした輝きを はなっているようで
とても、すがすがしい 心もちになった。

読みながら 想像していたのは、これは 欧州的な 素敵な映画 になるのではないか、ということで
言葉の少ない、ゆえに 詩的で静かな 世界観が、ひろがっていった。


でも、その生きいきとした 美しさとは 対照的な、『 死 』の匂いのする 描写も多いのだ。

石棺や、埋葬人、もうこの世にはいないであろう 見知らぬ家族の写真。それらが、小川さんの
世界だな と思っているうちに、しだに 物語に 惹きこまれていった。

となると、ブラフマンの 存在というのは、何を 表しているのだろうか (どんな動物か? ではなく)
そもそも この物語の世界を どう捉えたらいいのか、今 よく分からない。けど、情景や 感覚は
とても 印象的に 残っているので、じわじわと 何かがくるのかもしれない。(きました:-)

芸術家たちの手が 苦悩している間、僕は ガスレンジを磨いている。車庫のペンキを 塗り替えている。落ち葉を集めて 燃やしている。僕の手は何も創り出さない。    22頁


創作者の家で、芸術家のお世話をしている 『僕』の、この 何も創りださない という 言葉が
ずっと、私の心の中に 残っていて、読後 しばらくすると、本の題にある 『 埋葬 』 という文字に
目がゆき それと 照らし合わせると、この言葉が 後々 いきてくるなと 感じた。

彼は、ブラフマンを慈しみ 大切に育て、そして 彼自身が、きちんと 埋葬を とりおこなった。
創作という 意とは、すこし 違うのかもしれないが、そういう風に 愛情をそそいできた、その経緯
こそ、何かを 創りだしてきたかのように、私は 思えたのだ。

そう思うと、芸術家たちや創作者の家、という位置のほうが、じつは 脇役的に 僕とブラフマンを
ひきたてる為の 存在なのかも… と かってな解釈も でてきたりして、そう考えていると、これは
また 再読したくなる タイプの本だなと。

解説の 178頁 1~9行が、この物語の 捉え方として、私は しっくりきたのですが、結末 部分に
ふれるので、抜粋はしないで おこうと思います。

雑貨屋の娘が、土曜に 村に訪れる男と 逢瀬を重ねる場所は もちろんなのだが、その描写に
これまた 死の匂いを 感じるのはなぜだろうか。

娘が男に 恋焦がれているような 印象よりも、『静』のほうが 伝わってくるから、私はそれが
とても記憶に 残っている。


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(画像はおかりしました。こういう風景かな)








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