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『 真鶴 』 [K.H]



川上弘美 著 / 文藝春秋


失踪した夫を 思いつつ、恋人の青茲と 付き合う京は、夫、礼の日記に、「真鶴」という文字を 見つける。 “ついてくるもの”に ひかれて「真鶴」へ向かう 京。夫は 「真鶴」にいるのか? 


冒頭の辺りに、(中盤からは 感じなくなりましたが)

同著者の 『 龍宮 』に収載されている、『 海馬 』の空気感に
どことなく 似ていると思った。


湿り気を含む 夜の海風、穏やかな 波なのに、沖の方から 何かが
迫りくるような、静かな 不穏。 のようなところが。

読んでいる間、からだの奥の方で、音叉の振動のような 微かな
響きが、絶え間なく続いた。


京が、娘の百を思う 様々な描写では、目頭が熱くなり、私自身の
ことも 追想した。

女三代の家族構成。私は、立場的に 百と近いので、母親(京)や
京の母の、それぞれの 年代で 感じる想いを、まだ 想像しづらく
も あるのだが


色んな意味を 含め、『女性』とは なんて愛おしいのだろうと
感じた。(同性だから、色々と感じる事が ある からだろうか)

京に、まとわりつく女の存在も、よく分かる。 (と 思っている
だけかもしれないが… )


心の中には、常に 誰かしらいて、それは 複雑な 形態を持っている
と思う。自分に 対峙してくる その曖昧模糊な存在は、身体からの
シグナルとして 問いかけてくるのか

心の 奥深くの、自分でも 探って行けない処からの ものなのか。

生きるって、色んなものを、ずるずると 引きずって歩いていく様な
そんな気がする。自分ではない、誰かも ひきつれているような…。


常世、今生、他生、そういう言葉も出てくるので、現実と 異界
(妖怪とかの 雰囲気でなく)の堺を ゆらぐような、ふしぎな感覚
にも 誘われた。

重りののっていない天秤ばかりのように、 自分を感じる。 のっていた重りをとりのけられたので、揺れている。

どちらの側に重りがのっていたのだか、揺れからはわからない。

揺れがおさまってゆくことだけがわかる。すこしだけ、さみしい。


この描写が とても印象的で、京の たゆたうような 意識の流れや
立場を、とてもよく 表わしているように 感じる。

母はいつか世を後にするし、娘の百は巣立ってゆく。

一人だったのに、複数になって、また 『私』 に戻る。重り、という
言葉に含まれる、自分を縛りも 支えもする 存在や物事。何ものって
いない、天秤ばかりの、両皿の 定まらない微かな揺れ。


重りが、徐々に軽くなってゆく時の、さびしさ という気持ち、何か
伝わってくるなぁ。

また、移りゆく にくたいから生じる、女性 特有の様々な不安定さ
等の、比喩にも 感じられるし。

他にも、印象的な比喩や 描写がとても多く、書ききれないので
余韻としてしまっておこう[霧]


不安な描写のおりに、挿入される、百の幼い頃の 言葉使いが
切なさ と共に、胸を温かくさせる。

「いっちょ、はしって」。や、「おかあたーん」とか。

子供の歌声 とかでもそうだが、まだ安定しない 頼りない声って
なぜだか 惹きこまれる。


著者の本で、最も 印象深いものとなった。 まだ 残った 余韻が
去りそうにない。


いつか、真鶴 の風景も見てみたいな。






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