SSブログ

サーカス団長の娘 [海外作家]



サーカス.jpg


ヨースタイン・ゴルデル 著 ,猪苗代 英徳 訳 / NHK出版





訳者 あとがき、一部 抜粋より。

『 サーカス団長の娘 』は、色とりどりの 小箱が入れ子になった 「チャイニーズ・ボックス」を思わせる。 物語の中に いくつもの独立した物語があり、社会風刺、文明批判もあれば、ミステリー風のサスペンスもある。



ゴルデル氏の、この作品からは、いつものような 柔らかみも、奥底に横たわる
温かな眼差しや、優しさは、ほとんど含まれていない。

著者の想いが詰まった この本から、ひしひしと伝わってくるのは、文や描写の
強烈さではない ところの、一貫した『 厳しさ 』 だったように思う。

現代は、それだけ、あちらこちらに綻びが 出始めているのだろう、と想像した。


小説として さまざまな可能性を 内包しているにもかかわらず、じゅうぶんな 醗酵を遂げていないと 感じる読者も あろうかと思う。


まさに、訳者が書いているとおりの、印象を持ちました。

感想を 書こうとしても、頭の中が シャッフルされるようで、めまい にも似た感覚
が起こりそうなほど、すんなり まとめる事の出来ない、そういう作品。

とにかく、色んなことが、盛り込んであるんですよ。ゴルデル氏は、まだまだ
書き 足りないことが、沢山 あるのでは ないかと、残りの ページ数が 少なく
なってきてるのに、なお そう思ったほど。


軸をなす、ペッテル(主人公)の人生の物語は、一つの流れとして把握できた。

題名の『 サーカス団長の娘 』は、ペッテルが幼い頃 創作し、母にきかせた物語
なのですが、それは この本の、伏線の大元であり、見えない支柱をなしていた。


                   ◇

もう一つの 側面である、ゴルデルさんが綴った、社会風刺や 文明批判 とうは、
それらが 現在進行である限り、完結とか、終着 という言葉では 収められない
のかもしれませんね。   だから、感想を すんなり書けないのかも。

ゴルデル氏が、最も言いたかったことの一つは、これなのではないか…。                  

ニーチェは、文化を 食べ過ぎた人間を、ウサギを まるごと飲み込んで動けなくなり、日向で うとうと眠っているヘビに例えている。 197頁



劇中劇のなかに 出てくる物語は、性の乱れを 懸念する ようなものが多い。
性の描写は 簡潔に綴られているので、ケンオという 印象は (わたしは)
受けなかった。

けれども、それらを通じて、浮き彫りにせていたのは、社会通念の 静かな
崩壊や、現代に渦巻く カオス、そういうものだったのでは ないでしょうか。



                     ◇


もう一つの側面である、ペッテルの『 作家援助 』という仕事。

そこから わたしが感じたのは、人間から、切り離されることはないだろう
『 物語 』というものの、妙。

(小川洋子さんの、物語に関する考えを、よく目にしていたので、このところ
それを 理解したい 欲求に、しずかに駆られている。物語って何?と)


作家援助をする ペッテルという人物の、存在の役割を、分かりやすく 説明
している (と 私は感じた)文があった。

彼(記者)の指摘したように、私のやっていることは、むかしは特異なことでもなんでもなかった。

教会関係者たちは 何世紀にもわたって、聖書について 彼と同じようなことを 主張してきた。聖書は、言うまでもなく、何人もの異なる作家によって 書かれたものだ。ところが、神学者たちは、聖書の全文の背後には、それら全てを統括する 一個の「超作家」が存在すると 主張してきた。 260頁



ここを読み、物語というのは DNAの螺旋のようなもので、一つの物語は、
いつも初めての案では 決して無い、のだろうと ぼんやり考えた。

そう思ったら、この頃 知りたかった『物語という存在』の、輪郭がおぼろに
とらえられそうな、そういう とっかかりができた。



◇◇◇


多くでてくる、『 蜘蛛の巣 』というのは、この作品の象徴として、非常に
的を得ていると 思います。

自分は、巣をつくった 蜘蛛で、その巣の 真ん中で、待機している主体で
あったのに、広がった 網目の端の方から、じわじわにじり寄られるような
そういう、比喩の 面白みがありました。


人間というのは、世界にすくっと立つ その中心を、自分と据えていますが
(わたし自身は そう思っている)、でも それは勘違いかもしれず、

ほんとうは、社会や人々、モラル、秩序、世界、大きくいってしまえば 宇宙
という、壮大な 蜘蛛の巣の ような網を
からだに、ばさりと覆いかぶされ、捕らえられているだけなのかもしれない。


だけど、平面で捕らえ られているから、視点はいつも、中心である自己で
その網の全貌は、自分からは見られず、ましてや 気づけもしないような。

どっちが主体なのかは、分からないじゃないか…、と 想像し始めている。


濃い読書 時間となりました。ずっと気になっていた この本を、読了でき
すっきりした。 さあ、次は 何を開くとしますかね[雪]






共通テーマ: